工芸と工芸館と金沢市が向かうところ@アートマネージメントシンポジウム

文化、美術、工芸、そして観光をキーワードにしたシンポジウムが金沢市で開催されました。美術好きなそして仕事でもそこそこ関わるキーワード、制作者のはしくれとして乗り込んできました。
以下は私なりに描き起こしたものですが、興味のあるあるいは印象に残った発言をメモして起こしたものです。私の中で意味合いが置き換わっているかもしれません。私個人のメモとして脚注やリンクをいれています。ご容赦ください。

照屋勇賢《金沢21世紀美術館》2019

2019年11月30日(土)金沢21世紀美術館シアター21

日本アートマネジメント学会 第21回全国大会 〈金沢〉
シンポジウムⅠ「東京国立近代美術館工芸館の金沢移転が意味するもの」

基調講演 馳 浩(元文部科学大臣)予定

●パネリスト
佐々木雅幸(金沢大学特任教授)
太下義之(文化政策研究者)
山崎達文(金沢学院大学教授)
●モデレーター
桧森隆一(北陸大学副学長、中部部会会員)
井出 明(金沢大学准教授)

―金沢という街をひも解くことから始まった。最初は井出さんの問いかけから。

=金沢は前近代と近代の断絶があると思われる。市民の中に「前田家の金沢」ではあるが、近代の意識はないようだ。「近代美術工芸館」が金沢にできたとき、近代を知る意識改革はできるのか?

金沢には納富介次郎という人物がいる。石川県立工業高校や富山県立高岡工芸高校など、工業高校の基礎を創った人物だ。工芸を再定義した人。近代デザインを軸にした人材育成を行った。また金沢美術工芸大学がある。柳宗理がいてバウハウス的な学校にいた印象もある。何回か文化革命が起きた街だと思う。

近代化といえば、明治大正昭和の観光というものがない。そもそも近代化そのものを扱っている美術館がない。この3つの時代は文化価値観において大きな転換があった。それを体系的に分かる美術館がない。例えば「大阪が近代化した」と見せる美術館が必要だと思う。それは近代美術館という意味ではない。

明治という国家をとらえ直す点として金沢は重要だと思われる。明治の工芸を取り上げた展覧会は平成になってから開催するようになった。

金沢は「百万石病」である。住む人の中に「金沢百万石といっておけばなんとかなる」と思っているふしがある。そうではなく、半世紀前のことをどうするのか体系的に考えてほしい。加賀藩のことは今まで何度もやっているのだから。江戸以降の文化の在り方を探るべき。

ギムホンソック 《これはうさぎです》2005

ー再び井出さんの問い、それにこたえる形のパネラー。

=近代美術工芸館ないしほかの要素がある中で、工芸の取引を行う仕組みは期待できるか?例えばベネチアのような市場と売買を期待してよいか?

ひとつは工芸アートフェアの確立が必要。工芸を作って終わりではなく、どう使われるかを価値として出す。住む人が生活に取り入れている現状を世界の人が見て評価する、驚く、認める。ユネスコのネットワークで広めるといい。(金沢市は2009年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)創造都市ネットワークに、クラフト分野で登録された)

大きなテーマの中に小さなマーケットができるもの。
例えば「ホテルKUMU」。ホテルで作品を展示するアートホテルが広まるといい。

アートマーケットでいえば、世界から見れば日本は国名が表示されないほど低い。官では広める動きはあるが。金沢での工芸マーケットは難しい、価値づけが難しい。

アメリカは寄付文化である。キュレーターのアドバイスでオーナーが買う。オーナーは半分を美術館に寄贈する。オーナはステイタスがあがり、作品の価値が上がる。作家は知名度が上がる。美術館は無料でよい作品を展示することができる。そういったしくみがある。しかしこのしくみとは違うものを日本は作らないといけない。

工芸は経済の特殊性を持つ。工芸は産地と産業性があるが、美術には産地がない。そして工芸は生活である。どうしても社会と繋がらざるをえない。使う側の論理もある。作品ではなく製品である。今はローカルエコロジーではなく、再生するもの、それを含んだものを工芸といった方がいい。

新しい工藝の概念を目指さないといけない。では新しい工芸はどこを占めるのか、も。

美術館・博物館の新定義を求められている。美術館・博物館は専門家、愛好家の物ではない。市民にひらかれたもので、小さくてもあるものだ。

欧米のコレクターの展覧会「ニューヨークのアビー・コレクション―メトロポリタン美術館所蔵」を見てきた。日本工芸がコレクションになっていることは、世界のコレクターとつながることができるのではないか。しかしこれは竹を使った作品が珍しく、コロニアルな目で見られている前提がある。

インバウンドと工芸を考えるなら、金沢から世界的なアワードを出すことだ。ロエベがクラフトの財団を作った。新しい造形を含めた財団である。なぜロエベか、といえうとロエベは職人の技をもつブランドだから。

金沢では美しい茶器を使うことができるか。料亭文化の町だが、九谷焼は製品として弱い(割れやすい)。食と工芸を合わせないと生きて行けない。下世話に使うことよりも、ステージの高いところで使う行為を持っていくのはどうか。日本国宝の皿で食べるなど。価値と扱い方を知る講座、観光体験の提供。

デパートの三越で、伝統工芸展が開催されても人が来ない。しかし下のフロアには人がいる。何かが仕組みが違うのだろう、流通の工夫が必要だと思われる。

食文化という3文字を法律にいれることはすごいことだ。あまり思われていないが、法律に3文字入るということは強力なこと。食文化が美術文化と並ぶ。

金沢は町衆文化である。町衆の人が育んだ文化と美意識があるのに、住んでいる人は意識しない。

文化庁移転は河合隼雄氏の提言。地方創生のひとつとして文化庁移転を持ちあげた。

2001年より金沢創造都市会議を開催し、クラフトで世界に出ることを決めた。金沢は10年ごしの働きかけをして2009年にユネスコ・クラフト創造都市として認められた。

これは日本が工芸首都といえるように、世界において工芸の文化的首都と呼ばれるように提案していくもの。一方で都市が文化的個性をどうPRしていくのか。一夜漬けではできない、積み重ねがある。2012年「工芸未来派」の展覧会は、元秋元館長のみごとなキュレーションだったと思う。

―金沢は百万石病、と出だしから面白い言葉が飛び交った。金沢には納富介次郎さんが礎を築いたこと、美術工芸大学があること、と工芸館が移転される先が県立美術館横にあり、かつ日本海側初の国立美術館になるということ。もっと明治以降に日をあてようぜ!と冒頭の意見だった。

続けて金沢が国内においても海外においても認知されるためには「国際的なアワードを出すこと」という提言が響いた。ロエベのような世界的なファッションブランドが財団を作るのなら、日本でも金沢でもできないことはないと思う。

アートマーケットの確立は海外を手本にするのではなく、日本発信のマーケットの仕組みを作った方がいい。しかしこれはどうやって、誰がどうできる?とここを深めて話を聞きたい。ベネチアのような工芸とアートと売買がなしえる都市づくりは確かに理想。しかもベネチアは観光都市でもある。

食文化と工芸は密接だ。ステージの高いところで使う、おそらく本物を本当に使うという意味で話されたと思う。工芸が雑貨化している今、古臭いが本物を作る人を大切にする(国宝とも違う形で)、次の文化財保護ともつながる気がする。

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